かん吉めがね

日々の出来事を書きながら、たまにはいつもかけてる眼鏡をはずして、気づいたことを少しづつ書いて行こうと思います。

修学旅行とおねしょ

今日は久しぶりの出張。

久留米に一泊二日です。


いつもと違う1日の始まりってちょっとワクワクしますよね。


あやさんに作ってもらったサンドウィッチを食べながらいざ


”さくら”


で出発!


朝ブログを書いたことはなかったんですが、

なかなか頭がスッキリしていて多少言葉も出て来やすいもんですね。

新幹線の中なんで音と揺れは少し気になりますが。


さて、今日はちょうど新幹線なんで、旅行の話なぞしてみたいと思います。


記憶に残ってる一番最初の旅行は、1970年の大阪万博です。

三波春夫の『こんにちわ、こんにちわ』っていう歌声は今もよく覚えてます。


ただ、他で覚えているのはあのアメリカ館の月の石だけです。1時間ぐらい並びました。

なんかイメージとしては少しピンクっぽい石だったような気がします。


その他で覚えてるのは、迷子になったことぐらい。。。。小学3年ぐらいだから仕方ないですよね。

当時から方向音痴だったみたいです。

でも変なこと覚えてますよねえ。もっと色んなもの見たはずなんですが。


小学校時代では、あと修学旅行。

われわれの小学校と、他に多分3〜4校一緒にいきました。

児童の少ないがっこうが多かったんですね。


で行き先は


”宮島”


ですよ!


同じ広島県

でも当時は宮島に行くのも凄いことのように思ってました。


そしてこの旅行で他校の児童とも友達になって、今でも付き合ってます。


ただこの旅行で一番心配だったのが、”おねしょ”ですねえ。

多分小学4年ぐらいまでは、やってたと思うんで、もしやっちまったら?

という不安が。


寝る前にに何度もトイレ行った覚えがあります。

まあ、無事何事もなく夜明けを迎えられましたが。


お、そろそろ新山口です。

維新の獅子たちに少し思いをはせるとしましょう。

寿司とヨサコイとサッカー!充実の週末!

この週末はなかなか充実した2日間をすごすことが。

 

土曜の朝は2か月ぶりに髪を切りに。

前回から美容室を変更して、福山市の駅家にある

 

"muku"

 

というお店に。

2回行きましたが、今までの中では一番満足いくカットでした。

でも何日かすると、あれ?

ってこともよくあるので、3回目は様子を見てからになりますが。

 

さて、そのあとは久しぶりに福山駅前にあやさんと二人で買い物&食事。

 

何度か行ったお店でTシャツ購入。

 

と、その店を出たところで元会社の上司のK氏にばったり。

今、竹細工に凝ってるとのことでそのスクールに行った帰りだとか。

 

すでに自分の工房を持っているくらい、木工に力をいれていますが、さらに竹細工に。

充実した日々ようです。うらやましい。

 

最近みんなで飲み会してないので、是非やりましょうって言ってお別れ。

 

そのあとは、以前一度いったことのあるお寿司屋さん。

 

”やたい寿司”

 

と言っても回るお寿司屋さんではないですが、高級お寿司屋さんでもなく、かなりリーズナブルな価格。

しかも16時~19時までは、飲み物半額!

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まわる寿司ほどではないですが、1つが100円~150円ぐらい。

しかも目の前で握ってくれるんです。

 

普段あんまり夜は炭水化物食べないんですが、この時ばかりはパクパクと。

当然16時に入ったので、座れたのですが、その後1時間ほどで予約で満席に。

 

まあ、確かに安くてうまいから。

 

そのあとは、姪っ子が近くの湯田小学校での夏祭りに、ヨサコイを踊りにくるというので応援に。

 

”神石踊娘隊きらきら星”という名前で、かれこれ20年ぐらい続いてるらしいです。今回初めて鑑賞。

エキサイティングな踊りでした。

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今年の高知のヨサコイも本場の大会に出場らしいです。

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あやさんと姪っ子のツーショット

 

暑いので熱中症には気を付けてほしいものです。

 

そして今日はこの猛暑にもかかわらず、サッカー練習試合。

ほんとに溶けてしまいそうなぐらいの暑さ。

 

OS-1を大量に飲んでなんとか具合は悪くならず帰ってこれました。

でも、楽しく遊ばせていただきました。

 

という、充実した週末。

 

みなさまも、くれぐれも体調にはお気をつけください。

 

 

 

 

 

 

琥珀色のマジシャンとはっぴいえんど

昔大学時代にサークルで音楽をやってたころの話ですが、サークルの先輩が作った曲に、

 

琥珀色のマジシャン』

 

っていう曲がありました。

 

ちょっとカッコいい曲名でしょ。

 

どういう意味かというと、ウイスキーのことなんです。そう、ウイスキー琥珀色ですよね。

その琥珀色のウイスキーは、人をいろいろと変えていく。陽気にしたり、泣き虫にしたり。怒らしたり。。。

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本当にマジシャンですね。

 

その先輩は、『はっぴえんど』っていうバンドが好きで、私は大学に入るまでは全く知らなかったんですが、その先輩に教えてもらいグッとのめりこみました。

 

今その『はっぴいえんど』を聞きながら、琥珀色のハイボールをちびちびやってますが、これが合いますねえ。

 

大瀧詠一細野晴臣鈴木茂松本隆

 

うん。こうやって書いただけでもカッコいい!

 

”風をあつめて 風をあつめて 青空をかけたいんです。青空を~”

 

って今流れてます。琥珀色に合う~!

 

先日久しぶりにカラオケ行って懐メロ歌って盛り上がった話を書きましたが、音楽とお酒って私の人生ではやっぱり欠かせないもんなんだなあって思う今日この頃です。

サッカーも欠かせませんけどね。

 

でも音楽とお酒は、自分の好きな時にすきなように楽しめる。お酒については、この歳になったからでえしょうね。

以前は無理して飲んでる時もありましたから。

 

そして今、ほどよくマジシャン(いろんな色の)に踊らされながらですが、楽しく飲めるようになってます。

 

お!

 

ユーミンの ”守ってあげたい” が流れてます。

 

あうわ~

 

 

 

 

 

 

 

 

人生の重要な?分かれ道について。

今日は大学時代の陳プレイを書いてみたいといます。

 

私が通った大学は、広島市の郊外(広島ビックアーチ・今のエディオンスタジアム)の真向かいの山の中腹にあります。

 

広島修道大学という学校で、昔は広島商科大学という名前でしたが、私が入学する5年ほど前に名前が変わりました。と言ってももうかれこれ40年ほどもたちますが。

 

有名な出身は、フォーク界の大御所 ”吉田拓郎” そしてミュンヘンオリンピックの100M平泳ぎ金メダリストの”田口信教”です。

 

さて私の事に戻りましょう。

大学受験の際、私は理系か文系か迷っていました。模擬テスト受けてもどっちとも言えず、結局文系2校、理系2校を受験したのです。

 

そして受かったのは文系2校。

 

ここで第一の人生の選択がありました。以前ひょっとしたら書いたかもしれませんが、結局通うこととなった修道大学ではないもう一校の方は、兄が通っていた学校でした。私の家は神主の家のため、神主の資格も取れる大学に兄は通っていて私もそこを受けたのでした。

 

もし、兄の通っていた学校を選んでいたら、1年は兄とダブっていたし、しかも兄は優秀だったので、ひょっとしたらちやほやされ。。。全く今とは違う人生になってたかも。。。

良くも悪くも。

 

でもそこで変なあまのじゃくが出てくるんですよ。

不思議なもんで。兄と同じレールは。なんてカッコつけて。

 

でもほんとに兄の学校にいってたら違う人生だった気がします。

 

ただ、もしそうしてたら、あやさんにも会えなかっただろうし、今のステキな友人たちともあえなかったんで、これはこれでやっぱり必然だったんでしょう。

 

さて、そんなこんなで選んだ大学に入りましたが、そこでまた一つ選択が。

クラブは何に入ろうかと。

 

高校時代は、サッカー部(中学時代に剣道初段落ちたんで)だったんで、一応サッカーも考えました。

そしてもう一つは音楽関係。当時のフォークソングが大好きだったんで。

 

でも結局選んだのはフォークソングクラブ。

サッカー部は、

『根性のないやつははいってくるな!』

っていう感じのかなりマジなクラブのようでしたので、ついつい心が楽なほうへ。。。

 

ありゃ~。剣道初段落ちて、やめた時といっしょじゃん。

 

まあ、性格はそう簡単にはかわりませんわ。

 

そして見事フォークソングクラブにはいり、ほとんど毎日クラブハウスに行ってギター弾いてうたってました。運よく才能あるやつと二人でコンビを組むこともでき(実はその相棒も神主の息子だんたんですが。偶然にも)オリジナルを作って毎日練習の日々でした。

ほとんど授業には出ず、必修の語学や体育ぐらいしか。

 

でも、1回生の試験では、単位を落とすこともなく、ほぼ全部取得できました。

 

そしてこの時『な~んだ。大学って簡単なんだ』っていう錯覚に。

 

1回生の時は一般科目で専門科目ではないため、授業にでなくても、わりと簡単に単位が取得できたんです。

この落とし穴にはまったのが2回生の時。

 

一回生の時と同じく練習ばかりで授業には出ず、試験が終わってみたら半分も単位がとれず。

 

挙句に学生科から呼び出され、3回生も同じような成績だと奨学金が打ち切られるって。

 

え~!!!!

 

そう、奨学金をもらってたんです。

こりゃあやばい。

親に顔向けできん。しばかれる。でも3回生はクラブが一番忙しく授業に出れない。

あ~どうする。

 

しかたない。持つべきものは同級生の女子の友。

同じクラブの女性陣は、3回生になってクラブをやめてたので、授業にもでており、頼み込んでノートのコピーをひたすら収集。

12月の頭にクラブの最後のコンサートが終わるまでは勉強はできなかったけど、コピーだけは集め、コンサートが終わり後輩に受け継ぐ打ち上げコンパなるものをした翌日から、1か月間、生まれてこんなに勉強したことないっていうぐらい、勉強しました。

 

おかげさまでなんとか予定の単位は取得でき、奨学金打ち切りや3回生終了時点での留年という親に言えないような事態だけは避けることができました。

そしてなんとか4年で卒業することに。

 

いや~人間せっぱ詰まればやるもんじゃと自分でも感心の一か月間でした。

 

まあ、せっぱ詰まってそうなる前にもちっと 考えるべきですが。

 

でもこの教訓がはたしてこれまで生かされてきたのだろうか?????

 

でも、無事で、それなりに楽しく生きているのでよしとしよう!

 

やっと我が家の2階にもエアコンじゃあ!

この1週間ちょっとの間に、悲しい出来事が起こりました。


そして胸の痛む出来事が多いこの日本で、日本代表は感動与えてくれました。



さて、先日元会社の先輩と一杯やりに。

つい最近近くにできた居酒屋  

               So〉Ta

というお店に。

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朝しめた鳥を使ってて、新鮮でしかも量が多い。

普通は串に刺しますが、皿に出てきて大ぶりなねたです。


久しぶりにゆっくりと先輩と飲んだんで、話も酒もどんどんススムくんでした。


翌日も休みということで、夕方5時頃から始めて、二次会はカラオケボックスナツメロ歌いまくり、最後はラーメン&餃子で締めのビールとフルコースでした。


夜11時頃帰宅。


風呂入って、もう限界っとおもったけれど、やっぱりワールドカップ決勝見てしまい、寝たのは2時半。


しかし一気に猛烈に暑くなりました。

みなさまも熱中症にはお気をつけください。


私は以前東京にいる時、サッカーの後に熱中症で倒れかかったことがありますので、苦しさと怖さがわかります。


とにかく無理せず早めのHospital!


ということで、実は我が家にの寝室にはエアコンがありませんでした。

リビングにはあったんですが、寝るときゃ窓開けたら風入るし。という理由で去年まで頑張りましたが、今年はもう命の危険を感じるほどの暑さ。。。。


そしてついに2階にもエアコンじゃあ!


でも取り付けはこんどの日曜。


それまでに干からびないよう注意せねば。



全員警告って?

サッカー日本代表すごいですね。

 

前評判を覆し、決勝トーナメント進出!

 

色々意見もあるかもしれませんが、喜びましょう。(私は大いに喜んでおります)

 

ちなみに私の大会前の予想は、一勝2分けで予選突破。

 

この予想ほんどですよ。サッカー好きの友人にメッセージで送ってますから。

ちょっと違いましたが、なかなかの予想でしょう。

 

まあ、予選リーグについては様々な方が意見を発信されていますので、これくらにして。

 

今日はそのサッカーについて、高校時代のちょっとしたエピソードを書きたいと思います。

 

私は高校からサッカーを始めたんですが、(前回のブログに書きましたが、普通落ちるはずのない剣道の初段試験に中学時代に落ちたため)当時のわが校のサッカー部はかなり弱い状況でした。

所属していたのは、福山市の高校リーグの2部でした。

私の1つ先輩の代から少しづつ強くなり、私が2年の時にその先輩たちの力も借りながら、最後になんとか1部との入れ替え戦に出場することができました。

 

そしてその重要な試合で、今から思えばあり得ないジャッチがありました。

お互い負けられない試合で、かたや1部残留を、かたや一部昇格をかけた激しい試合です。(J1とJ2の入れ替え戦ほどじゃありませんが)

 

お互いかなりエキサイトしていき、激しいスライディングやら暴言やら。

 

確かに危険なプレーなどもあったと思います。

 

主審もなかなかコントロールが難しかったのだろうという気がします。

まあ17・8歳の怖いもの知らずの血気盛んな時でしたから。

 

そしてついに主審も、あきれ果てたのでしょう。笛を吹いていきなり、

 

『ええ加減にせえ。おまえら全員警告じゃ!』

 

あろうことか、全員警告ですよ。

 

その時主審はイエローカードに全員の番号を書いたのだろうか。

と今思い出しても、そんな時間はなかったはずですから、たぶんカードに、

 

『両チーム全員警告』

 

って書いたんでしょうね。

 

サッカーと言えば警告は付き物ですよね。今回のワールドカップも日本はその少なさで決勝トーナメントに行けました。

 

でも、全員警告って。。。。。

 

試合の方は残念ながら負けてしまい、念願の1部昇格は果たせませんでしたが、これもまた懐かしい思い出です。

そうそう、その相手の高校がたぶん、あやさんの母校だったような気がします。

 

そして今もシニアチームで一緒にサッカーしている人に中に、この時の試合で一緒に戦ってくれた人がいます。

うれしいかぎりです。

 

さて、火曜の朝は運命のベルギー戦です。

あのオシム元代表監督も、少しだけ日本のほうが有利なのでは。

って言ってくださってます。

 

すごく力強い言葉です。

 

とにかく一発勝負ですから、アグレッシブに戦ってほしい。

そしてもう一度世界をアッと言わせてほしい。

 

でも全員警告にはならないでね(笑)

 

 

 

 

中学時代のこと覚えてます?

前回は小学校時代の、ちょっと情けないお話をさせて頂きました。


今回は中学時代のことを少し書こうかと思います。

私の兄の時までは家から歩いて行ける場所に中学があったんですが、私の時には合併があって歩いては行けない場所の中学に通うことに。


車で行ったら30分ぐらいのとこなんですが、交通手段がないため、寄宿舎(寮)に入ってました。


毎週月曜日に行って、土曜日に家に帰る生活です。さすがに初めのころは、家が恋しくて寂しかった覚えがあります。

でもその頃寮に一緒にいた友人とは今でもたまに飲みに行ったりしてます。


今から思えばいい経験。


剣道部に入り、あのくっさ〜い服と防具を毎日つけて、叩き叩かれしてました。そこそこ強かったんですよ。


でも中学時代に、普通落ちる筈のない初段に落ちて、高校ではサッカーを。

まあでも、それで今でもサッカーできてるんで良かったかもですが。


さて、そんな中学時代を過ごしていた私ですが、なつかしい思い出を一つ。


掃除時間の時の出来事。


教室の窓の外に、ベランダらしきところがあり、そこでいつもサボって、ジュースの蓋(当時は王冠だったかなあ)を使って2メートルぐらいの距離でサッカーをしてました。

ゲームセンターにある、エアーホッケーを足でやるようなもんです。


いつも仲の良い4人でやってたんですが、ある日突然担任の先生に現場を押さえられました。


それまでは全く気配も無く、見つかるわけないとみんなたかをくくっていたんです。


やはり、悪いことはできませんね。


先生が「おまえらそこへ並べ!」


と大声で。


あちゃ〜


しかたなく並ぶと、順番に平手打ちを。。。


痛・痛・痛・痛〜


今なら体罰じゃあ、って親が怒鳴り込んで来るんでしょうが、恥ずかしくて親になんぞ言えませんでしたよ。


でも野球部の顧問をしてる先生で、腕力はありましたが、ちゃんと手加減と耳に当たらないよにしてくれたように覚えてます。


これもまあ、いい思い出です。


しかし、なんとも、しょうもないことを覚えてるもんですね。


やっぱりそいうもんでしょうか。